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ラストラン ③もう一度だけ

翌日の朝。

「あら、早いのね。」
「…先に居た君に言われると嫌味にしか聞こえんのだが。」

トレーナー室にはベテランよりも先にキングヘイローが来ていた。

「これを渡したくて。」
「そうか。」

言葉数の少ない会話、互いが理解している証拠だ。キングヘイローがベテランに差し出した封筒には、妙に力強い筆文字で「退部届」と書いてある。ベテランは「ふぅ」と息をつき、断るわけでもなくそれを受け取った。

「すんなりと受け取ってくれたってことは、あなたも解っていたって
 ことなのね。」
「なんとなくな。」
「…お世話になったわ、高松宮記念を勝てたのはあなたのおかげよ。」
「そう言ってくれると報われるよ。」
「コーヒー淹れておいたから。飲むでしょう?」
「朝のこの部屋は本当に寒いからな、君も少し暖まっていきなさい。」
「…そうさせてもらうわ。」

踏ん切りをつけたキングは穏やかだった。

「もうこれ以上は登れない、そう自分で判断したの。」
「俺も気付くのが、いや、俺から君に言うのをためらい過ぎていてな。」
「どの辺りで?」
「高松宮記念のレース後。いつもの君なら俺に得意げに高笑いしそうな
 ものだろ?だが、君はそうしなかった。おかしいと思ったよ。その後の
 レースも君は頑張ってはいたが、何かが違った。」
「よく見てるのね…隠せないものね、ウララさんにも気付かれてしまって
 いたわ。」
「同室の?」
「あの娘はね、空気は読めないけど、空気が変わったことに気付くことは
 できるのよ。今までの私と何かが違うって感じさせてしまったんだわ。」
「そうか…」
「G1を勝てたことで、知らず知らずの内に糸が切れてしまったのかしら。」

ベテランが退部届をデスクに置く。
キングは寂しそうな笑みを浮かべ窓の外を見ながら言葉を続けた。

「これ以上走っても敗北を積み重ねるだけ。デジタルさんに高説じみた
 ことを垂れた矢先にこんなことを決めてしまって、あの娘に顔向け
 できないけれど、醜態をさらし続けるのも辛いわ。」
「…」
「わかっててもらえていた様で話が早くて助かったわ。今までありがとう、
 トレーナー。」
「ああ。次で最後にしよう。」
「そうね、次で………って、次ぃ!?」

ベテランのサクッとした切り返しにキングの声が裏返る。


「もう一度だけ走ってくれないか。有馬記念で。」


今までの雰囲気をダイナミックに破壊したベテランに、キングは動揺を隠せなかった。ここまでの会話で彼が充分に自分の限界を感じていることは解った、それなのに次という言葉が出てくるとは考えもしなかったから。
しかも「有馬記念で」と言うではないか。自分にスプリンターとしての道を歩ませ、その通りに頂点に立たせたトレーナーの判断とは思えない選択肢だ。正気じゃない。
先ほどまでの穏やかな表情から一変し「何を言ってるんだこの人は」という呆れ顔でキングが直球をベテランにぶつける。


「あなた、ひょっとして相当なおばかなの?自分で何言ってるか
 解ってるの?ひょっとしてタキオンさんに変な薬盛られてる?」
「いやぁ、ちょっと前のコトなのに妙に懐かしいな、君のそういう
 感じ。最近違ってたもんな。」


静謐な空気が崩れ落ちる。先ほどまで寒かったトレーナー室が妙に暖かく感じられる。自分の決断を小馬鹿にされたような雰囲気なのに、ベテランの言うことは悪い冗談にしか聞こえないのに、キングはこの男が語るであろうその先を聞きたくなった。

もう一度走ってもいいのか、もう一度なら走れるのか。

このベテラントレーナーは正論と無難の塊だ。そこを前提とした策士だ。
それが今、無策と無謀と無根拠と、無理を言おうとしている。
自分に出来ること探してを言ってきた人が、自分には出来ないことを言おうとしている。

有馬記念という憧れの勲章を題材に。

「ちょっと整理させてもらえる?まず聞くけど、本気なの?」
「こんなジョークあるか。」
「ならば何故、有馬記念?」
「そこしかないからだ。」
「ふぅん…それはトレーナーとしての判断なの?」
「いや、ファンとしての希望だな。」

あしらうつもりで「それはトレーナーとしての判断なの?」と聞いたキングはがくりと首を下げた。ニヤけながらベテランが復讐にかかる。

「君のトレーナーがこんな判断するわけないじゃないか。狂ってるわ。
 いつから君は2000m超の距離を走っていない?そうさせたのは
 誰だっけ?」
「あなたねぇ、自虐がそんなに楽しいのかしら?」
「だが、ファンとしては違う。」
「ファンとしてって、そんな漠然とした…」

もう少し説得力のある話を期待していたキングは更に呆れた。だが、それでも尚、ベテランが冗談を言っている風には思えない。本気で自分を有馬記念に出走させようとしている、それだけは確かだ。


「君よりファンの方が諦めが悪いのかもしれないよ。」


ベテランの言葉にキングがハッとする。
自身の掲げていた「絶対に諦めない」という意志、それをファンの方が上回っている。そう言われ急に悔しさみたいな感情がこみ上げてきたが何故か否定できない。ベテランの表情はただただ優しかった、嫌味ではないのだろう。

「そんなファンが俺だけでなく、君には沢山居るんだ。俺も正直
 驚いたよ、高松宮記念の、あのスタンドの光景には。」
「…担当ウマ娘に対して失礼過ぎやしない?」
「って返すってコトは、君自身も驚いていたってことだ。」
「…ええ、そうよ。」

ふくれっ面でキングがぷいっと外を向く。

「意外だったわ、そして嬉しかった。凄く。」
「あの時、君が背負っていたものは凄く大きいんだ。」
「背負っていたもの?」
「あの歓声は、君の世代への歓声でもあるんだよ。君が背負ってゴール
 したものはスペシャルウィークでありグラスワンダーでありエルコン
 ドルパサーであり、セイウンスカイでもあったんだ。」

キングの胸がぐっと締め付けられる。幾度となく自身を打ちのめしてきた同期の4人、だがセイウンスカイ以外は既にトゥインクルを降りている。セイウンスカイも怪我をしてしまい長期の戦線離脱中。その4人のライバルとして自分は数えられていただろうか。
4人との友人としての関係は良好だが、キングは彼女達を心底恨めしく思う時も多かった。だからベテランの言葉がキングには嬉しくなかった。あの高松宮記念の歓声は自分だけに贈られたものではない、そう言われている様に思えたから。でも、彼女達が居たから今の自分があるというのも間違いない。あの、恐ろしく強い同世代の友人達。

「彼女達のことは嫌いかい?」
「…憎かったわ、でも今はそれ以上に大切な存在よ。」
「そうか。」
「でもこの話が有馬記念とどう関係してくるというの?」
「さっき君が自分で『知らず知らずの内に糸が切れてしまった』と
 言ったが、確かにそうかもしれない。その安堵が先に響いたって
 ことなのかもしれない。あの光景を見れたことで、これが最後でも
 いいと君が思ってしまったのなら。」
「…」


「あの時のファンはそう思っていないよ、未だにキングヘイローを
 諦めてはいない。そして未だに君の背にあの4人を乗せている。
 それが目に見えて解るのが有馬記念なんだ、君はファン投票で
 絶対に上位に選ばれる。」
「!!」


普段は飄々としているベテランが目に力を入れて言った。思えばこのベテランの口から絶対なんて言葉が出てきたことがあっただろうか。キングは少し高揚した、今まで自覚にない「ファンと世代を背負う」という使命の様なものに。それでも不安は未だに大きい。

「あのねぇ、有馬記念よ?そりゃまあ、私のファンは…高松宮記念で
 驚きはしたけど、あれだけ居るんだって。でも距離よ、今年は
 マイルまでしか走っていないの。高松宮記念の倍以上の距離なのよ。
 そんな私に投票するなんて…」
「選ばれるさ。」
「珍しく自信満々なのね…」
「だってキングヘイローだからな。」
「あなた、そんなキャラだったっけ?まるで…まるであの人みたいよ。」

初期衝動の塊だったような自分と共に駆け出した前任の若手トレーナーの事が脳裏に浮かんだ。
理論的ではないにしろ自分のことを信じて情熱を注いでくれた彼と、「焦るな」が口癖みたいな現担当のベテランとは対照的な人物だ。

「アイツかぁ。」
「そう。あの時は二人して勢いと才能だけでどうにかなると思い込んで、
 このトゥインクルに乗り込んだ。まるで今のあなたはあの人みたいよ、
 そんなロマンチストだったかしら?」
「だとしたら、やっぱアイツと君は合っていたって事かな。あの時は
 未熟だったってだけで。」
「何よそれ、自分で役目を買っておいて。」
「ともかく、今の君にとって『何かを背負っているって自覚』を持って
 レースに臨める状況は悪くないと思う。『ここで終わり』ではなくて
 『次で終わり』と決めて挑んだ方が力は出せる、君はそういう性格
 だろ。」
「…いくつか確認をさせて。」

キングの意志はほぼほぼ固まっていたが、有馬に挑むということに対する不安と恐怖が消えたわけではない。ベテランがそれを払拭する返答をするか否かで決めようと畳みかける。

「まずファン投票の話なんだけど、ここでラストランだなんて
 謳って票集めしたりしないわよね?」
「そんなことする必要がない。」
「じゃあ選ばれなかったら?」
「ここに関しては本当に絶対と言っていいくらいだ、選ばれる。」
「有馬記念に私が出て、本当に勝負ができるの?」
「未知数だ。ここは絶対に勝負になるとは答えられない。」
「私自身が限界だと言っているのに?」
「有馬記念で限界を迎えよう、その為の今日の話だ。」
「さっきあなた、トレーナーとしての判断ではなくファンとしての
 希望で有馬に出ようって言ったわよね。」
「言ったな。」
「今私が話しているのはファンなの?トレーナーなの?」
「キングヘイローのトレーナーだ。」
「ああー、もう!!」

キングが髪をかきむしる。

「なんでそんなポンポン答えるのよ!?なんでそんなあっさりこの
 無謀って言える挑戦をトレーナーとしてって言えるのよ!?」
「ファンって答えて欲しかった?」



「断れなくなっちゃったじゃない!!」
「ぷっ……あはははははは!!」



珍しくベテランが声高に笑った。やれやれという表情で大きなため息をつきながらキングがうなだれる。

「まだ君の脚の火は消えちゃいない。この有馬記念で燃やし
 尽くすんだ。そうできるようにするのが、俺の君に対する
 最後の仕事だ。」
「…イヤよ、私。ラストランって決めた舞台で無様に散るのは。」
「そうなっても全部俺のせいにすんなよ。」
「解ってるわよ、もう!!こういう時ぐらい頼りになる事を言え
 ないの!?本当にへっぽこなんだから!!」


退部を一旦撤回し有馬挑戦への意志を固め、それに向けトレーニング内容を大幅に変更し舵を切ったあくる日。秋から冬への移り変わりが目に見えてくる12月の初旬。

有馬記念ファン投票結果発表。

キングヘイローは8位に選ばれ、有馬記念に出走登録した。



☆どうでもいいあとがき
この時のファン投票、屈健炎で復帰のメドが全く立っていないセイウンスカイが7位だったんですよ。
ウマ娘のキングなら絶対荒れてますよね。

[ 2022/01/31 00:47 ] その他 | TB(0) | CM(-)

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